Baixar jinnseinosikurextutoiti kunounokonngenntositenosyouninnyoxtukyuukaranoridatu jinnseinosi-kurextuto (Japanese Edition) pdf, epub, ebook

jinnseinosikurextutoiti kunounokonngenntositenosyouninnyoxtukyuukaranoridatu jinnseinosi-kurextuto (Japanese Edition)

『人生のシークレットⅠ ~苦悩の根源としての承認欲求からの離脱~ 【2016/09/18 2版】』

同タイトルの【2016/06/11初版】に大幅な加筆修正をしました。初版とは別の本として読んでいただけると思います。

************************************************************

短時間で手軽に読める人生のハンドブックです。

しかし、中身は、哲学、宗教、スピリチュアル等々のエッセンスです。

日々、キンドルで携帯し、みなさんの心の支えにしていただければ、著者として、うれしいかぎりです。

************************************************************

【目次】

第1部 苦悩の根源としての承認欲求

第2部 承認欲求を滅尽し、苦悩から離脱し、平安、自由、幸福を取り戻したここ ろへ

第3部 慈悲喜捨希(じひきしやき)、そして慈悲喜捨希勇(ゆう)の人生へ

************************************************************
第1部 苦悩の根源としての承認欲求


近現代人の苦悩の根源とは何か。

それは、子どものときには無かったものである。もしくは、社会が都市化するまでは、あまり無かったものである。我々が、成長し、学校や会社や何らかの組織のなかで生きるうちに、つまり、人々が密集する人間社会のなかで生きるうちに、後天的に身につけてきたものである。

それは、どこまでも承認されたいという欲求である。

もっと、もっと、認められたい。

もっと、もっと、注目されたい。

もっと、もっと、受け入れられたい。

もっと、もっと、すごいと言われたい。

もっと、もっと、愛されたい。

もっと、もっと、尊重されたい。

もっと、もっと、好きと言われたい。

もっと、もっと、感謝されたい。

これらは、すべて、比較と競争と劣等感にとらわれた近現代人が、自然な自尊心を失った結果、抱くようになった過剰なる承認への欲求である。

これが、近現代人をありとしあらゆる苦悩と悪徳と争いの淵であるダークサイドに落とし込んでいる悪魔的なる情動、心的フォースの正体である。

ルソーは人々をこうした方向に向かわせている近代社会に本能的な危険を感じ取り、

「人は、数多くの人が生きる都会のなかで、本来持ち合わせていなかった情念(過剰な承認欲求)を抱くようになると、生まれながらに持ち合わせていた内面の深いやすらぎや自由、澄み切った晴れ渡る大空のような幸福感を失う。焦りと苦悩と悪徳とに退廃していく。生来の自然なるあなたに還れ。」

と警鐘を鳴らした。

「自然に還れ」とは、なにも「原始生活に還れ」と言ってるのでは無い。

「承認や評価への執着から離れ、心を生来の自然な状態に戻せ。心をリセットせよ。」
と言っているのだ。

人は、都会的な文明社会の競争第一主義のなかで、負けまいとして、頭角を現そうとして、追い立てられ、急き立てられ、恐れ、焦り、がむしゃらに生きるうちに、承認されること、評価されること、認められることに過剰な執着や欲求が生じる。

こうした承認されること、評価されること、認められることへの過剰な執着、欲望は、一定の成長、成果、進化を生み出す一方、以下の心の七毒である「貪(とん)、瞋(じん)、痴(ち)、慢(まん)、疑(ぎ)、怖(ふ)、逃(とう)」(※1)を生み出す根源的なダークサイド(暗黒面の)フォース(精神エネルギー)となる(※2)。

「貪」とは、満たされない承認欲求にともなう空虚感、虚無感、寂寥感を飲食物、物、金、異性(セックス)、酒、ギャンブルといったものによって代替的に満たそうとすること。ただし、飲食物、物、金、異性(セックス)、酒、ギャンブル等(いわゆる俗なるもの)が悪いわけではない。それらは、この世において、また、肉体を有する人間にとって、必要で、便利で、楽しく、喜びで、快いものである。有難くいただき、感謝し、より有意義な活動に向かえばよい。しかし、承認されない空虚感、虚無感、寂寥感を埋め合わそうとして、そうしたものが頭と心から離れず、振り回され、執着し、依存し、耽溺し、欲望に拍車(ドライブ)が掛かると、命を生かし潤す水であったそららのものは海水に変じる。飲めば飲むほどに喉は渇き(聖書にも同様に記されている)、いくら飲んでもこころからの満足や喜びを感じることができなくなる。すると、それらは命を養う水から海水、海水から毒水に変じ、空虚感、虚無感、寂寥感は底無しとなる。こうした悪循環に陥ると、人は苦悩と絶望と破滅的な思いに飲み込まれ、自滅する。

「瞋」とは、承認欲求が満たされない憤りや怒りのこと。私憤のこと。自分の利益、プライド、信条を守るための激情をともなう他罰的で粗暴な言動。無私と冷静さと理性と威厳のあるコントロールされた公憤とは対局にある怒りである。

「痴」とは、承認欲求が満たされないことから生ずる点においては瞋と同じだが、攻撃が自分に向かうこと。自分を無価値だと思うこと。自分を悪人や罪人だと見なすこと。自分は、嫌悪され、批判され、処罰されて当然だと考えること(こうした心境は、外見上、謙虚さや反省と似ているが、謙虚さや反省とは真逆のものである。謙虚さや反省とは、自分の価値を否定することではなく、自分の価値や可能性を信じつつ、これまでの、また今現在の、こころと言動の過ちを認め、修正し、前向きになることである。つまり、真なる謙虚さや反省とは、自己の価値や可能性を、信じ、確認することであり、自己の価値や可能性を信じ確認するからこそできることなのである。明るさや爽やかさや軽やかさや好感をともなうものなのである)。自分に対して、優しい見方をし、愛し、感謝し、敬意を抱くこと(第3部の7参照)ほど重要なことは無いのに(自分を真に大切にするからこそ、謙虚さや反省も必要となる)、自らが、自らの存在そのものを、許されざるものとして断罪し、責め立てることはこの上なく愚かなことである。自ら不幸を呼び込むことになる。よって、痴である。

「慢」とは、強引に、安易に、承認欲求を満たそうとする者が、お前とは違ってオレは偉いんだというプライドを掲げて虚勢を張ったり、上から目線で人を見下したり、軽んじたり、あらを探したり、いちゃもんをつけたり、批判したり、馬鹿にしたり、暴言を吐いたり、横柄な言動をとったりすること(ブラックな上司や会社、また、いじめっ子をイメージすると、よく分かる)。自分のみが正しいとして、人の意見を聞かず、自分の見方、判断、意見、主張に固執する頑迷さである。「慢」が強い者は、本能的に、ストレスを発散することができるスケープゴートを探している。自分より弱い、下だと見なしうる者がいると、即座に、ロックオンし、あいつは何もできない馬鹿だと見なし、そうした者が、独自に判断して行動したり、自分より上になるような言動をすることを断じて許さない。そうした者が、自分の枠外の言動をしたり、自分より上の成果を出そうとすると、反射的に、激しい怒りや嫉妬にこころがかき乱され、自己のプライドを守るため、重箱の隅をつつくようにして細かなミスを見い出して責め立てるとともに、裏で、ありとあらゆる策謀をめぐらし、相手を、背後から狙撃し、引きずり下ろし、息の根を止めようとする(このため「慢」が強い者にとって、上記の「痴」にある者は餌食となるおいしいカモである)。弱みを見せたり、プライドを傷つけたりする言動をすると、凶暴化する極めて危険な者達である(こうした危険な者達に対しては、警戒と智慧をもって接することが必要である。つまり、日頃はプライドを傷つけないよう配慮しつつも、決して弱みを見せず、ときに応じて、第3部に記載した「正見による理解と判断に基づいた無私と慈悲の一喝」を轟かさなければならない)。

「疑」とは、望むほどには、求めるほどには、理想とするほどには認めてくれない、承認してくれない周囲の人々や社会に対して疑心暗鬼となり、「嫌われている。無視されている。仲間外れにされている。批判されている。迫害されている。」といった被害感、被害妄想を膨らませること。

「怖」とは、①「疑」にともなう孤独感や不安感を内包した恐怖感のこと。②すべての人から認められたいと思うあまり、実際に、自分を評価しなかったり、敬遠したり、嫌悪したり、批判したりする人がいることを(※3)、繰り返し思い詰め、悲嘆し、恐れること。③好意や優しさや愛情を得たいと思うあまり、嫌われることを極度に恐れ、怯えること。心からの好意や愛情や感謝からの自然でさりげない態度や言動(相手は、喜びや幸せを感じるため、いつの間にか友情や恋愛が成立する)ではなく、認められないことや嫌われることへの極度の恐れから、不自然に、ぎこちなく、過剰に、合わせたり、媚びたり、おせっかいを焼いたり、与えたり、奉仕したりすること(相手は、本能的に、疲れたり、不快に感じたり、嫌悪感を抱いたりするため、関係は続かない。うまくいかない人間関係、特に男女間でよく見ら
Scaricare ebook Sarai reindirizzato al sito web o l'editore dell'autore.

eBooks simili con jinnseinosikurextutoiti kunounokonngenntositenosyouninnyoxtukyuukaranoridatu jinnseinosi-kurextuto (Japanese Edition)