国家通貨の発行量も、各国における国主総員への国家配当に準じるため、国家構成員の数に規定されることにも触れています。すなわち人口が多い国家は国主も多くなりますので、その国家が発行する国家通貨の発行量は多くなり、人口が少ない国はその反対であります。
国家通貨を発行する理由は自国が作る「富」を合理的に消費するためにあり、自国の富の生成は国内の自家使用を想定して作られるのですから、国主総員というそれぞれの国家の国主総数に規定されるのが、国家間における平等な国家通貨の信用創造だと私は思います。国家間に遍在する各種資源の売買や、人的資源による技術格差といった差は国家間において起きますが、それは外交によって解決するべき問題のようにも思います。
その国家の原型が縄文時代中期に千年以上続いたという、丸山三内遺跡にみられます。働かざる者喰うべからずの強制労働を推奨するような、エリートによる貴族趣味の共産主義思考ではなくて、日々の労力を供しない人々=生産活動をしない人が、成員の3分の2近くを占めていたと推測される縄文的殖産経済があった。
これは我々人類の未来の希望であります。吾々の未来もまたそのように過剰な労働をすることなしに、自国内経済を立て直すべきであります。過剰な労力を供しなければならなくなった社会は、縄文時にあったのではなくて農耕社会の発達とその維持が、全面的に人力だけに頼るものであり、生産活動=労力の提供でしかなかった時代に、暴力によって奪い取ることを正当化する国家創成期があり。