私は、昭和9年東京浅草で生まれた。
昭和19年、私がちょうど10歳になった時、戦争によって家が焼かれ、家族10人は着衣
一枚のまま新潟に疎開することになった。
貧しく食べ物もろくに養えない毎日。
一家は借金を抱え、私たち子供は学校すらもまともに通えず、私は中学を卒業と同時に
住み込みでパン屋の職につくこととなった。
、家族が残した借金も終わりを迎え、ようやく人生の
スタート時点に立った思いであった。
しかし、運命は皮肉なものであり、人生の軌道がようやく見え始めた矢先、私の胃に穴が
あき、仕事中に倒れ入院することとなった。
胃潰瘍で直ちに手術しなければならない状況であったが、私の体は衰弱がひどく10日
間の輸血を続けることになった。
その日々は想像を絶する苦しさで私は死を覚悟した。病室のベッドの上、苦しさのなか
で、今までの私の人生は何であったのだろうか?と自問自答を繰り返した。
会社や親兄弟のため、又、妻や子供にも何もしてあげられなかったことなど。私はその思
いを心に残しながら手術室へと向かった。
手術は無事に終わり、今度こそこれからの人生を深く考えることができた。
「死ぬまでに何かを残したい。娘や未だ見ぬ孫たちのために」。
そう強く思うようになったのはその頃であった。
金も名もなく今、私に残せるものは何もない。
パン職人であるが故にパンやケーキは残せるが、永くは保たれない物。
であるならば、腐らない物で形式となる物を残したいという考えのもと彫刻を始めた。
特に私は人々の表情を彫ることとなった。
人生の刻みこまれた人の顔。
そんな顔を彫り続け、そしてこれからも人々の人生を彫っていきたいと思う。
著者プロフィール:
石田 一馬(いしだ かずま)
1934年、東京・浅草生まれ。新潟県糸魚川市大字青梅在住。