絵とは一体何を描くものなのか。それは絵描きとして避けて通れない「永遠の哲学的問題」である。言ってみれば、それは「美とは何か」、「真理とは何か」というギリシャ的な問いである。銀座の画廊で発表された瀬川画伯の絵が一大センセーションを巻き起こした。春爛漫の土手で仄かな微笑を浮かべた美女の肢体に絡み付く、大小の花片が弧を描いて移行する虹のような曲線の顕現した桜源郷の華麗な図画は、まるで神の泉のスローモーションのような斬新な旋律を奏でていて、どの観覧者の目にも神憑って見えた。だが、この絵の成功にも拘らず、彼は一層高度な芸術作品の制作を迫られる。そして自らの恋と、石灯籠のある大きな屋敷に出入りする肉感を欠いた霧のような人間の出現…。ある夏の終わり、大きな衝立で仕切られたアトリエの空間に、裸婦を一人収納できる特注のケースが横たえられた。そのガラス張りの「美しき棺」とも言うべきライトテーブルで、彼は内的衝動を主客一致の状態で紙の上に転写するシャーマン的な手法を試みる。何と「人間トレースダウン」である。元来、この世の人間がこの世のものとは思えない美し過ぎる絵を描くということ自体が、「存在」にとって「違法」ではないのか。果たして私事諸共に天才画家の企図した「死」をも辞さない「美的な決着」とは？そして、その戦慄すべき背理とは？長編哲学的ロマンス！