はじめに
超科学とは幸せに生きるための知恵だと私は考えています。前作ではトラウマについて取り上げ皆さんが幸せになるための考え方を示しました。心の癖に思い悩み苦しんでいた人もきっと元気を取り戻すことができたのではないでしょうか?
さて今回は心の汚れについてのお話をしたいと思います。人間は生まれたままの状態ではみんな心に汚れなんて微塵もありません。ですが、成長するに連れて様々な経験をし、心にいろいろな記憶が蓄積されていきます。その記憶がみんな素晴らしく幸せなものであれば良いのですが、嫌な記憶もたくさんあります。
私が最近たちが悪いと感じているのは、心地好く受け入れられる情報のなかにも心を汚していく情報がたくさんあることです。特に小さなお子さんは、楽しいものであればなんでも素直にどんどん心の中に吸収していってしまいます。そういう状態で大人になっていくことを想像すると恐ろしくなってきます。
心を汚していく情報が何であるのかの判断を顕在意識が持っている価値観で行うことの危険性に対して私は警鐘を鳴らすべきだと考えています。本来、ピュアな価値観は宇宙が持っている潜在意識によるものなのです。ですが、その価値観はかつて狩猟時代の人類がいちばんはっきりと認識をしていたはずです。人類は文明を得ることによって宇宙の持つ価値観よりも、人間自身が生み出した価値観を重視して生きるようになってきたために、心にたくさんの汚れを吸い込んだままそのことに気付かないで、他人を陥れたり、自分自身を不幸に追い込んだりということを知らず知らずのうちにやってしまっているのです。
人類が生み出した文明は本来素晴らしいものです。ですが、間違った価値観が現代の日本の中に常識的にはびこってしまっていることで、世の中を生きにくいものにしてしまっているのです。
やはり、文明が生み出した価値観が、洗練されているのは西欧の先進国だと思います。キリスト教社会では人間は神のしもべであり、本来欠点が多く罪深い存在であるという謙虚な価値観があります。休日に教会で祈りを捧げるのは、一週間の罪を懺悔し、神に許しをこう行為なのだとどこかの本で読んだことがありますが、残念ながら日本にはこういう謙虚な価値観はありません。
自分さえ幸せを得られれば、他人を蹴落としても何とも思わない日本人が数多くいます。いっぽうで東日本大震災では、日本人の真面目さや他人に対する優しさが世界中で称賛されましたが、それは一部の立派な人たちの勇気ある行動が大きくマスコミにとりあげられたからであって、実はその影でさまざまなあるまじき行為もあったのではと想像しています。
他人はどうあれこの本を通じてあなた自身がピュアな心をとりもどし、宇宙の子供として正しい価値観で生きていく人生を歩みはじめるきっかけになればさいわいです。
杉山三郎