安部公房という人間を理解するためには、安部公房とマルクス主義の関係を理解することが、そして何故日本共産党員になったのか、そして何故1961年9月6日に日本共産党に除名されて、結果として消極的に日本共産党員ではなくなったのかを理解するjavascript:void(0)ことが、とても重要です。
その結論をまとめてお話しし、その見取り図を描いた後で、個別に詳細を論じております。
最初にこの論考の本文を通してお読み下さると、安部公房と共産主義の見取り図を得ることができます。その後で、各所にある[註]をお読み下さると、本文との関係で一層深く、安部公房にとっての共産主義の意義と意味を、それから安部公房という人間を、理解することができます。
安部公房と共産主義の関係を考えていると、安部公房の小説ばかりではなく、10代の詩群と『無名詩集』やリルケとニーチェとポーやシュールレアリズムとルポタージュとドキュメンタリー(記録藝術)や映画やミュージカルと舞台と安部公房スタジオの演技論と演劇論と安部公房作曲の音楽やバロック様式や終末思想と方舟思想や本物と贋物や正統と異端やクレオール論やその他様々な安部公房文学の主題と形象(イメージ)について、安部公房独自のこれらの活躍する藝術領域での安部公房の考えとその作品の本当の意義と意味について、深く理解することのできることに驚きます。安部公房の一生涯の諸要素とすべての主題が、この時代に書いたものを中心にして、一つにまとまり、整理されるのです。そうして、安部公房という言語藝術家の人生の全体の眺望が、わたしたちの眼の前に、まとまりあるものとして、首尾一貫した有機的な関係の総体として、開けるのです。
安部公房の人生にとって、それほどマルクス主義、もっと大きな言い方をすれば共産主義(コ ミュニズム)は、重要な意味を持っていたのです。
しかし、それは、やはり実に安部公房らしく、安部公房は平凡で月並みの共産主義者ではありませんでした。安部公房は、マルクス主義の正体を見事に見抜きました。それを何だと考えたのか、そして、何に絶望し、誰に救われて、マルクス主義という閉鎖空間からの脱出に成功したのかをお話ししています。
安部公房全集の1950年代の、安部公房の書いた文章を読んで、その真の意義を明らかにした論考です。
如何にして、命を賭けて、安部公房は、純情な詩人から辛辣な散文家に変貌したのか?
安部公房の人生表を別途ダウンロードできるようにしてあります。これを見ると、安部公房という人間の人生の全体を理解することができます。
その一部始終を、是非、お読み下さい。