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Reset Japan: The inevitable result of Counter democracy and its Policy (Japanese Edition)

あなたは、今が良ければいいと考えるだろうか? あるいは、自分だけが良ければいいと考えるだろうか?
実はこの問いは、経済政策に関しては同一のものだ。
「今が良ければいい」という考えによれば次世代にツケを回す経済政策を実行することになり、「自分だけが良ければいい」という考えによれば社会全体の豊かさや将来への投資、人材育成を怠る経済政策を実行することになる。
2016年6月1日、安倍首相は消費税率10%への引き上げを再び延期すると発表した。
民主党から政権を奪回した前回選挙の大勝から微減の議席獲得という政権与党勝利の結果に終わった衆議院の解散・総選挙に向けた14年11月、消費税率引き上げを当初予定の15年10月から延期する是非を問うとして安倍氏は次のように述べていた。
「再び延期することはない。はっきりと断言する」
「17年4月には税率を上げられる経済状況をアベノミクスがつくり出す」
それから1年半を過ぎて安倍氏は断言を翻し、アベノミクスはそうした経済状況をつくり出してはいなかったと証明した。
だが開き直った彼は言う。
「アベノミクスは成功している。これは新しい判断だ。来る参院選で信を問う」
つまり、政策的な円安誘導で輸出増を期待させた株高によって企業価値を上げた公開・上場企業3,542社(日本企業全体の0.09%)と株式投資で資金運用できた一部の富裕層を除いて、14年4月から25ヶ月間のうち23ヶ月の家計消費が前年比マイナスになるという一般には好景気と実感できないアベノミクスへの評価が、国民に委ねられたのだ。
そしてそれはまさに、「今が良ければいいか?」あるいは「自分だけが良ければいいか?」と国民が問われたということだ。
「一般には好景気と実感できない」と言っても「消費税の引き上げによってさらに生活が苦しくなるよりはいい」という心理は、「今が良ければいい」あるいは「自分だけが良ければいい」という判断に向かう。仮に「他人が悪くても自分が良ければ自分の子や孫にもいいだろう」と思っても、日本の社会全体が悪い時代に(それでも日本で)生きる子や孫は辛い思いをすることになるのだが。
だが、「今が良ければいい」あるいは「自分だけが良ければいい」という判断は決して批判の対象にはならない。そうした判断をせざるを得ない選択肢しか示せない政治が悪いのだ。
そう。この状況は最悪だ。安倍氏の言う「新興国」という外部から襲う危機に直面してはいなくても、「社会保障費増大」「借金財政」「経済成長停滞」という内部に実在する危機を放置すればやがて間違いなく爆発する。
想定されるその破壊力から、私はそれを「クラッシュ(衝突事故)」と呼ぶ。
国家経済のクラッシュだけでなく、社会・政治的な面での国家クラッシュを含め、多くの人々はその迫りくる脅威を薄々と感じているのではないだろうか? それが、若者や母親(と母親になるか否かの女性)たちから未来への明るい希望を奪ってはいないだろうか?
クラッシュだけが待っている暗澹たる将来展望を抱かせるのではなく、「今が良ければいい」あるいは「自分だけが良ければいい」という判断に代わり得る選択肢はないのだろうか?
否! そんなはずはない。希望への道は必ずある。
クラッシュを未然に防ぐ選択肢のひとつは「リセット(初めからやり直し)」だ。
ただしこのリセットは、何もかもゼロにしてしまうものとは違う。人々の生活を中心に市民にとって本当に大事なものはしっかりと守る。それが大原則としてあり、その上で人々の生活を支えるべき政治のありようなどを根本的にやり直す。それを「日本をリセットする」と言う。
そしてリセット・ボタンとして私は、「無血」「順法」「市民の心に添う」の3条件を前提とする「日本名誉革命」の可能性を従前から考えている。
その方法、目的、理想などは拙著『日本名誉革命』で考察し、同じく『リベラルが天下を取る』では、その主役となるべき人々――時代の進展とともに変わらざるを得ない社会において、人々が慎重になる極端な変革ではなく、公正を旗印とする穏健な革新によってむしろ生活の安定を実現しようという、過激派どころか一般的に言う左翼でもなく社会の多数を占める人々――の参集を求めた。
2014年1月から8月にかけて順次電子版上梓した『日本名誉革命』3部と、15年11月に同じく電子版上梓した『リベラルが天下を取る』に一貫する私の想いとも言うべきものは、民主主義と資本主義そして「個々の市民の暮らし」を守らねばならないということだ。
「個々の市民の暮らし」とは、「あなたの暮らし」と「私の暮らし」は違うが、そのいずれをも軽視することなく、守られるべき多くの市民のそれぞれの暮らしを必ず守る、ということだ。
そして今、「今が良ければいい」あるいは「自分だけが良ければいい」と判断せざるを得ない状況に至り、国家経済のクラッシュが「市民の暮らし」もクラッシュさせ、社会・政治的な面での国家クラッシュが日本の民主主義や資本主義をもクラッシュさせる危機を及ぼさぬための「リセット・ジャパン」を考察するものだ。
2015年度末時点で1,049兆円の借金を抱えて元利払いに年23兆円を費やし、その他の歳出を加えた年間96兆円の一般会計予算に対して税収その他60兆円という歳入不足から年36兆円の新たな借金を続けていく国が、2025(平成37)年頃からは毎年29兆円の社会保障費を現在より上積みせねばならない。
仮に年間29兆円の加算分を消費税、所得税、年金、健康保険などによって国民各世帯が負担するとすれば、平均年間53万3千円、月間4万5千円の負担増を各世帯は引き受けることとなる。
平均で毎月4万5千円の負担が増しても生活に影響しないという家庭はどれほどあるのだろうか?
今のままでは、民主主義と資本主義そして「個々の市民の暮らし」は守れない。
「日本名誉革命」について私は、政治体制に大ナタをふるうものとし、それは政治家にも官僚にもできず市民自身だけができること(まさに市民自身の手に握られたリセット・ボタン)と言う。
少なくとも「個々の市民の暮らしを守ること」は、政治家にも官僚にもできるわけがないのだ。
なぜならば、平均毎月4万5千円の負担増を市民に押し付けないためには、政治家や官僚が関わる費用、つまり国家財政を組み直して、政治家や官僚自身に火の粉を浴びてもらうしかないのだ。
考えてみれば、60兆円の歳入に対して1,049兆円の借金があるということは、一般企業で言えば売り上げの17.5倍の借金を抱えていることとなり、立ち上げ直後のベンチャーでもない限りとっくの昔にリストラの嵐が吹き荒れているはずだ。
国家のリストラは政治家や官僚にはできるわけがないのだ。
そんな状況下で、集団的自衛権の行使を認めて米国の戦争を手伝おうなどという能天気さには呆れるほかはない。もしやこの際、無謀な戦争でも始めてまた負けて他国に占領され、焼け野原の荒廃からやり直すほうがいっそスッキリするとでも考えているのではあるまいか?
(慶大経済学部教授の土居丈朗氏によると「230%の債務を抱えて戦費調達もままならず、少子高齢化が自衛隊の階級・年齢構成を歪めて最前線で戦う兵力も整わぬ日本に戦争遂行能力はない」そうだから。それでもやると言うのなら、それも焼け野原からの再出発という別の意味のリセットかも知れないが…)
閑話休題。『日本名誉革命』において私は「合法的で不公平、不平等とも言い切れぬが、何か人々の腑に落ちぬ澱(オリ=液体の底に沈殿するカスのように、すっきりと流れ去らずに積もり溜まるもの)を残す施策や体制が、政治イデオロギーによらず単に権力の移行をめざす市民革命を呼ぶ」と述べた。
その澱は今、先述の「国家経済のクラッシュだけでなく、社会・政治的な面での国家クラッシュを含め、多くの人々はその迫りくる脅威を薄々と感じているのではないだろうか? それが、若者や母親(と母親になるか否かの女性)たちから未来への明るい希望を奪ってはいないだろうか?」という疑念としておぼろげな輪郭を見せてきた。
そんな疑念を生む危機にある民主主義や資本主義そして「個々の市民の暮らし」を守るための通常ではない方法として、政治家や官僚にできず市民ならできる荒療治であり、デモや集会などで市民が直接的・大々的に声を上げるカウンターデモクラシーが施策と体制を大変革させるのが「単に権力の移行をめざす市民革命」であり、17世紀英国の市民革命に倣って非暴力・無血に徹する「日本名誉革命」だ。
そのように、「革命」と称すべき活動自体が戦闘的なものではないにも関わらず、それでもなお「革命」を標榜するのは、その結果がもたらすものが「大ナタをふるう」と表現すべきほどに政治体制と政策とに著しい変化を及ぼすものだからだ。
そこで本稿は、その変革の内容を概観しようとするものだ。つまりリセット・ボタンとしての「日本名誉革命」によって政治・行政体制がどう変化し、その政策がどう変化すべきかを考えるものだ。
あるいは、仮説としての「日本名誉革命」はあくまで仮説であって夢物語のままに終わるものかも知れない。だが、今日の日本社会に迫るクラッシュの脅威もまた悪夢のままに終わればいいが、それは「原発は炉心溶融しない」や「九州では地震は起こらないはず」にも似た希望的観測に過ぎない。
そこで「日本名誉革命」が実現してもしなくても、本稿は日本社会の病根を正面から見つめ、それに対する当面の対症療法ではなく、本質的な病巣の根絶を考察する
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