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Von Mansteins Crimean Campaign 1941-42 (Japanese Edition)

第二次世界大戦期の独ソ戦勃発から3か月が経過した1941年9月12日、ドイツ陸軍のエーリヒ・フォン・マンシュタイン歩兵大将は「ただちに南方軍集団へと出頭し、第11軍の指揮権を継承せよ」との命令を受領した。彼の手に委ねられたのは、当時世界最強と謳われ、難攻不落の異名を奉られていた黒海沿岸の要塞都市セヴァストポリの攻略という難題であった。

黒海に大きく突き出たクリミア半島の南端に位置し、紀元前五世紀にギリシア人が築いた植民都市ケルソネソスに端を発するこの黒海沿岸の港湾都市は、女帝エカテリーナ二世がロシア領に併合した1783年に『偉大なる都市(セヴァストポリ)』と命名され、1804年には帝政ロシア海軍黒海艦隊の軍港に指定された。1825年になると第一級の要塞としての設備も完成し、1854〜55年には有名なクリミア戦争の舞台として、従軍看護婦ナイチンゲールをはじめ幾多のドラマを生み出している。

第二次世界大戦が勃発した1939年の時点で、セヴァストポリの総人口は11万2000人に達していたが、この頃までには造船を核とする各種工業施設の整備も進み、南部ロシア有数の重要都市の一つに数えられていた。そして、軍事技術の進歩は、黒海の中央部を睨むように張り出したこの要塞都市にさらなる戦略的意義をもたらすことになった。

ドイツ第三帝国総統アドルフ・ヒトラーは、対ソ戦の開始直後から、ルーマニアのプロエシュチ油田に対するソ連軍の空爆を危惧していた。プロエシュチは、ドイツの戦時経済を支える上で最も重要な石油産出地であり、その安全を確保するためには、この地を航続距離内に収められるウクライナ領内の飛行場をことごとく奪い取る必要があった。だが、クリミア半島の入り口は、幅7キロ程度の地峡に遮られており、さらに屈強な門番を想わせる強力な砲台によって幾重にも護られた要塞都市セヴァストポリの飛行場を占領、あるいは少なくとも無力化するためには、本格的な攻城戦の準備が不可欠だった。

そして、フォン・マンシュタインは第11軍司令官として、この大任を見事に成し遂げることになる。しかし、セヴァストポリ要塞の陥落という輝かしい戦果を勝ち取るまでに、ドイツ第11軍の将兵たちは半年以上の長きに亙って、第二次世界大戦史でも他に類を見ない、過酷で凄惨な攻城戦に身を投じ続けねばならなかったのである。

本書は、ドイツ軍の名将フォン・マンシュタインの指揮した1941年から翌42年までのクリミア戦役の顛末を、コンパクトにまとめた記事です。1999年3月、学研パブリッシングの雑誌『歴史群像』第38号(1999年春・夏号)の記事として、B5判16ページで発表されました。昨今のウクライナ情勢に関連して、クリミア半島に世界の関心が集まっていますが、この半島とセヴァストポリ要塞の戦略的重要性についての理解を深める一助となれば幸いです。

《目次(見出しリスト)》

智将、クリミアへ

《クリミア半島への侵入》
ドイツ第11軍の戦略目標統一
セヴァストポリ要塞への突進
第一次セヴァストポリ攻撃

《ケルチ方面でのソ連軍の反撃》
スターリンの横槍
マンシュタインの苦渋の決断

《「ブラウ作戦」とクリミア半島》
独ソ両軍の春期・夏期戦略
ケルチから駆逐されたソ連軍

《燃え上がるセヴァストポリ要塞》
史上最大規模の火砲集結
ついに陥落した巨大要塞
元帥マンシュタインの誕生

【付録】クリミア戦役における独ソ両軍の戦闘序列
《1》ドイツ第11軍戦闘序列(1941年9月17日・マンシュタイン着任時)
《2》ソ連軍クリミア防衛部隊戦闘序列(1941年10月1日)
《3》ドイツ軍セヴァストポリ攻囲部隊戦闘序列(1942年6月5日)
《4》ソ連軍セヴァストポリ守備隊戦闘序列(1942年6月1日)
《5》セヴァストポリ地域のソ連軍重砲台戦闘序列(1941年11月1日)
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